バロン西

・バロン西

2012年、ロンドンオリンピックの馬術競技で話題になったのは当時71歳で出場した法華津寛さんでした。

このように日本はオリンピックには毎回、馬術競技の選手団を送り込んでいます。

ただ、馬術競技が盛んなヨーロッパ相手にはオリンピックで苦戦しているのも確かです。

 

しかし、かつては日本もオリンピックの馬術競技で金メダルを獲得したことがあります。

1932年の第10回オリンピック、ロサンゼルス大会の障害飛越競技で金メダルを獲得した西竹一選手とウラヌス号です。

 

オリンピック・ロサンゼルス大会の最終日、10万人を超える観客の見守るメインスタジアムで西竹一選手と愛馬ウラヌス号は参加11選手中、完走がわずか5選手という難易度の高い障害コースを見事に全てクリアし、グランプリ障害飛越競技の金メダルを獲得したのです。

これは今現在でも日本がオリンピック馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録となっています。

この時のインタビューで「We won」(自分とウラヌス号が勝った)と応じ、世界中の人々から大きな喝采を浴びました。

男爵でもあった西竹一選手はバロン西という愛称で一躍世界的にその名を知られるようになります。

 

軍人だったバロン西はその後、太平洋戦争の戦地に赴くことになります。

そして、硫黄島で最期を遂げることになるのです。

この時、米軍の司令官は硫黄島にバロン西がいることを知り「馬術のバロン西、出て来なさい。世界は君を失うことはあまりにも惜しい」と総攻撃の前に連日のように投降を呼びかけましたが、バロン西はそれに応じなかったというエピソードが残っています。

そして、バロン西が戦死した一週間後に愛馬ウラヌス号もバロン西の後を追うように息を引き取ったのです。

バロン西

「みんなの乗馬」ホームページへはコチラをクリック↓

このエントリーをはてなブックマークに追加