戦争と馬

【馬の豆知識】

・戦争と馬

昔は馬は戦争で使われていました。

競馬でさえも戦前は軍馬の資質を上げるために開催されていましたし、馬術は戦場における騎兵の戦いの動作を様式美にまで発展させたものだと言われています。

 

馬が人間によって家畜とされたのは今からおよそ6000年前とされています。

馬が家畜化されるとほどなくして戦争に使われるようになりました。 モンゴル帝国などの馬を有効活用した民俗は戦争を有利に進めることができ、大きく領土を拡大することができたのです。

そして、馬を戦争に有効に活用し栄華を極めたのがナポレオンです。

1812年、ナポレオンはモスクワ遠征におよそ18万頭もの軍馬を連れて行きました。 18万頭といえば、今現在日本で繋養されている馬の数よりはるかに多い頭数です。 この時期が馬を騎兵として使われたピークの時期といえるかもしれません。

しかし、戦争兵器の進化とともに馬の兵器としての役割が終わることになります。

1939年、ドイツの戦車部隊がポーランドに侵略します。 このドイツの戦車部隊に対してポーランド軍は騎兵隊で反撃を試みますが全滅しました。 この年を境にして馬は戦争兵器としての役割を終えていくのです。

戦争と馬

 

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日本釧路種

【馬の豆知識】

・日本釧路種

馬は現代では主に乗用馬や競走馬として使われていますが、昔は馬は戦争のときの軍用馬としても使われていました。

日清戦争、日露戦争で外国の改良種の軍馬と初めて対した日本は国産馬が外国の改良種に比べてはるかに能力面や体格面で劣っていることを痛感します。

そこで、軍馬の生産・育成に力を入れるために外国から改良種を導入し誕生したのが「日本釧路種」です。

 

日本釧路種はフランス産のペルシュロンと日本在来馬をもとに改良が加えられました。

日本釧路種は日本人の体格に合った小柄な馬で(体高約148センチ)、持久力や脚力も備えており小さな体の中にもパワーを備えていました。

 

この品種の誕生の中心となった釧路の生産者である神(じん)八三郎(1866年~1955年)はおよそ5000名もの釧路の馬農家たちをまとめてリーダーシップをとりこの日本釧路種をつくりあげます。

そして、1932年(昭和7年)には国産馬として初めて新品種として農林省に登録されました。

 

日本釧路種は戦場で活躍しました。

大型の軍用輓馬たちが疲労し、倒れていく中で日本在来種はその持久力を発揮しました。

 

しかし、終戦により軍馬の需要がなくなるとともに日本釧路種も役割を終え、その姿を消すことになるのです。

日本釧路種

【JR根室線、大楽毛駅の前には日本釧路種の像が立っています。 画像提供http://blog.livedoor.jp/miyanomayu3/

 

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ウマ類の絶滅

【馬の豆知識】

・ウマ類の絶滅

人類の発祥の地はアフリカ大陸とされています。

対して、馬の祖先の発祥の地は北アメリカ大陸で、何千万年もの時間をかけて進化を続けてきました。

そして、馬の祖先は地続きであったベーリング海峡を渡ってユーラシア大陸やアフリカ大陸へと広がっていきました。

 

順調に進化を続けていたウマ類ですが、1万1000年ほど前に突然北アメリカ大陸のウマ類は絶滅してしまったのです。

絶滅の原因には諸説あり、伝染病の流行によるものや気候の変化によるものなどが説としてありますが、近年では人類によって絶滅したという説が有力とされています。

 

北アメリカ大陸のウマ類が絶滅した時期はベーリング海峡が地続きとなっており、モンゴロイド(アメリカ先住民の祖先)がアメリカ大陸にやってきた時期とも重なります。

モンゴロイドは哺乳類を狩るために道具を使っていたことも推測されていることから、彼らが食料としてウマ類を乱獲したことが原因で絶滅したのではないかとされています。

 

今現在でも人間によって絶滅の危機に瀕している動物がたくさんいます。

人間と動物たちが共存し、共に安全に生活できる環境になることを願います。

モウコノウマ

 

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